古川正雄の洋行漫筆 小売業者 古川正雄自序板

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【書名】 古川正雄の洋行漫筆【巻冊】 中本一册【著者】 古川正雄自序板【成立】 明治七年一月官許
★ 賣弘所/青山清吉。巻末ニ「古川藏版目録」一丁。少虫。★ 慶應四年に慶應義塾初代塾長を務めた古川正雄は波瀾萬丈の生涯をおくった人物。適塾で塾長を務めていた福澤諭吉が藩命により江戸で蘭學塾を開くことになり同行者を募ったところ三歳年下の古川(當時/岡本周吉)は即答で賛同したと云う。★ 築地鉄砲洲で諭吉と同居し、諭吉が開いた蘭學塾「一小家塾」(後の慶應義塾)の第一期生となる。しかし古川は、戰いを好まない諭吉が止めるも聞かず、慶應四年六月、長崎丸の艦長として江戸から脱走し舊幕府軍榎本軍に加わる。理由は古川家が徳川家の旗本だったからとする。★ 榎本武揚らと共に箱館五稜郭に立て籠り新政府軍に抵抗。軍艦高雄の艦長となり明治二年三月、盛岡藩宮古灣の開戰で座礁して沈没、上陸後降伏して新政府軍に捕えられた。東京に護送されて厳しい取り調べを受け約一年間拘束された。それでも諭吉は古川を可愛がり、諭吉は入牢した古川を何度も訪ね面倒をみたと云う。罪を云い渡されるが、福澤の支援については不明だが後に釋放されて教育者としての人生を歩むことになる。そして直ぐに『繪入智慧の環』(明治3年〜5年)を刋行。これが吾國最初の小學教科書となり最初の近代繪本文典として評價される。『ちゑのいとぐち』(木活字版)明治4年11月刋は相當な稀書であるが、本書はそれよりもやや勝るとおもわれる珍本である。★ 尾佐竹猛が『明治文化全集』外國文化篇で本書を飜刻解題している。しかしこの書名『古川正雄の洋行漫筆』は獨特、自身の名前を冠した刋行書籍の嚆矢かもしれぬ。   ★ 明治六年にはウィーン萬國博覽會に出品目録諸著書編輯係として派遣された。歸國後、津田仙らと交わり基督教に傾倒して洗禮を受けた。★ 明治10年39歳で病死。
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